「ゲーセンクイーン」の成立条件と生態 - シロクマの屑籠(汎適所属)
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090107/p1
「人が3人集まれば派閥が出来る」とはよく言ったもんです。
そもそも「ゲーセン」でのコミュニケーションは、どういう風に変化してきていたのだろうか。
現実での変化
80年代〜90年代前半
- 「ゲーセン=ヤンキーのたまり場」という風潮があった時代であり、また実際そういう人が多かった。
- 今のように「友人や彼女と気軽に遊ぶ場所」ではなかった。
90年代前半〜後半
- 格闘ゲーム大ヒットに端を発する、「プレイヤー同士が直接向き合う」という関係が生まれた。
- 「新しいゲーム」ということもあり、まだまだマナーも創生期であった。その為に口プレイや台パン、リアルファイトなどのトラブルが多発した。
- 格闘ゲーム自体が理不尽な点がまだまだ多く、安易なハメや抜けづらい固めなどが多かった。
- ここらから「ゲーム攻略情報の交換」という目的を持った関係構築が生まれた。
- まあそんな利己的な考えは微塵もなく、対戦後に「良い勝負だった! ありがとう!」と爽やかに話かける人もいたが。
ネットでの変化
- 90年代後半に2chが生まれ、格闘ゲーム/STG/音ゲー/その他ゲーセンにおける全ての話題を全て受け入れるアーケード板が設立された。
- 設立当初のアーケード板はその抱える話題の豊富さにより、数日に一度は板圧縮が起こる超過密板であった。
- あまりの書き込み数と板圧縮を受け、地方ローカル話題を分離させる意味で作られたのがゲーセン板であった。
- しかしそれでも度重なる板圧縮にてキャラスレや本スレが落ちることに苦悩していた住人たちは「外部にスレッドフロート型掲示板を借りての専門板を作る」という案だった。
- 新作格ゲーが「外部板を作り、そこでキャラスレ/攻略を行え」という暗黙の了解があるのはこうした経緯があってのこと。
情報が分散化していると利用者が集まらないため、勢いや盛り上がりを誘発することが難しくなる。
どうも自分が書くと歴史背景解説がメインになり、あんまり考察や説明は書かない方向が。